紅白歌合戦は、大みそか恒例の番組ですよね。
実は、長い歴史を持っているんですって。
この記事では、紅白歌合戦の誕生秘話から時代ごとのエピソードまで、分かりやすくご紹介します(*^^*)
日本の年末文化を、一緒に探ってみませんか?
戦後からスタート!紅白歌合戦の誕生秘話
紅白歌合戦の歴史が始まったのは、戦後間もない1945年12月31日からです。
紅白歌合戦の始まりはラジオから
紅白歌合戦の始まりは、テレビ放送ではなく、ラジオからスタートしました。
当時のラジオ番組『紅白音楽試合』が、紅白歌合戦の原型なんですって。
まだ日本ではテレビ放送が
始まってなかった!
企画したのは、ディレクターの近藤積氏。
「新時代にふさわしい音楽番組を作りたい」という想いから、生まれたそうです。
娯楽が少なかった時代だね
当初は、剣道の対抗戦「紅白試合」にヒントを得て、番組名は『紅白音楽合戦』にする予定でした。
しかし、諸事情により「試合」に変更されることに。
最初は、勝敗や審査員、応援団といった形式ではなかったそうです。
また、歌だけでなく木琴や尺八、マンドリンの演奏も披露されるなど、バラエティー豊かな内容だったんですって。
当時、大みそかの終夜電車が運行されていなかったため、終電に間に合わなかった出演者もいました。
そんな時は、NHK東京放送会館の部屋で、雑魚寝をしていたそうですよ。
大変な状況ながらも、どこか温かみを感じる舞台裏の一幕ですよね。
この放送が事実上の
第1回になります
『紅白音楽試合』は大好評でしたが、一回限りの番組として終わりました。
しかし、放送後の大きな反響を忘れられなかったスタッフ。
1951年1月3日に、正月番組として『第1回NHK紅白歌合戦』を放送しました。
この第1回では、曲目や歌う順番が、事前に発表されなかったそうです。
紅組と白組のキャプテンが、相手の動きを見ながら「誰に何を歌わせるか」を、その場で決めていたんですって。
テレビ放送開始
1953年にテレビ放送が始まると、紅白歌合戦もテレビ番組に移行しました。
この年は、第3回が1月にラジオで、第4回が大みそかにテレビで放送されたんですって。
大みそかに放送できたんだね!
年末年始は、大規模な会場の空きが限られていました。
その中でも、大みそかだけ使用できたんです。
また、人気歌手を招きやすいというメリットもあったとか。
この第4回をきっかけに、大みそかの放送が定着しました。
ただ当時は、「大みそかの夜の催し物は絶対に当たらない」というジンクスもあり、最初は観客が集まるか心配されたそうですよ。
ジンクスはハズレたみたいね
テレビならではの、視覚的な演出が取り入れられた第4回。
選手宣誓や優勝旗の返還・授与といった要素が加わり、現在の紅白の形式に近づいていきました。
こうして紅白歌合戦は、視聴者の増加とともに、大みそかの恒例番組として、定着したんですね(*^^*)
放送延期や中止になったことは
一度もないんだって
2017年12月31日には「最長寿年度テレビ音楽コンペティション(国内)」として、ギネス世界記録に認定されました。
紅白歌合戦の名前の由来
紅白歌合戦の名前は、剣道の紅白試合からヒントを得ました。
『紅(赤)と白』は、もともと日本の伝統的な色合いで、縁起が良いとされてきたものです。
紅(赤) | 白 |
お祝い事の色 勝ちを意味する 女性や華やかさをイメージ | 清潔や純粋を意味する 負けなし・無病息災 長寿・繁栄 |
『紅白』は、お正月や新年、祝い事にぴったりの色ですよね。
なんで「赤」じゃなくて
「紅」なの?
「赤」は悪い意味で使われることもあるから「紅」なんだって
『紅白』という言葉の由来は、平安時代末期から鎌倉時代初期の源平合戦までさかのぼります。
平氏は赤い旗、源氏は白い旗を掲げて、敵味方を区別していたことが、始まりとされているんですって。
この紅白を並べることで、争いなく平和に過ごせるとされ、おめでたい場面で使われるようになったという説もあります。
紅白幕や紅白まんじゅうとかね
大みそかに放送される『紅白歌合戦』も、おめでたい正月行事のひとつかもしれませんね。
視聴率80%超えも!時代ごとに見る紅白の変化
紅白歌合戦は、日本の大みそかを代表する番組として、時代とともに進化してきました。
1950年代~1960年代
1950年代から1960年代にかけて、テレビの普及により視聴者の数が急増しました。
白黒テレビからカラーテレビへの移行期には、歌手たちの衣装や舞台演出が華やかに。
視覚的な楽しさも加わり、第14回(1963年)の視聴率は、歴代最高の81.4%を記録したんですって。
もはや国民的イベントだね!
1970年代~
1970年代には、若い世代の注目を集めた、山口百恵さんやピンク・レディーといったスターが登場。
一方で、演歌や民謡も多く取り入れられ、幅広い世代が楽しめるような内容でした。
1980年代~
紅白歌合戦の全盛期だった1980年代。
松田聖子さんや中森明菜さんなど、アイドル歌手が大活躍しました。
中山美穂さんも!
小林幸子さんの衣装も
この頃から豪華に!
この頃の紅白歌合戦は、一年の締めくくりとして、家族一緒にテレビを囲むことが多かったようですね。
また、ほぼすべての歌唱曲に歌詞テロップが表示されるようになり、視聴者は歌詞を楽しみながら番組を視聴できるようになりました。
1990年代~
紅白歌合戦の視聴率が徐々に低下し、若い世代の関心が薄れ始めた、1990年代以降。
紅白の廃止が検討された時期も…
第41回(1990年)には、初めてNHKホール以外からの中継で歌唱するという新しい試みがあり、長渕剛さんがベルリンから15分にわたって3曲を披露しました。
しかしこの中継演出は、観客や他の出場歌手たちから不評だったため、第53回(2002年)まで行われなかったんですって。
2000年代~
2000年代に入ると、国民生活の多様化やBSでのサイマル放送の影響もあり、地上波テレビの視聴率は40%前後まで低下していきました。
- 常連の出場歌手が全盛期を過ぎた
- 知名度の低い出場歌手
若い人しか知らないとかね
そんな中、21世紀最初の紅白となる第52回(2001年)では、生放送の娯楽音楽番組として世界初となる『リアルタイム字幕放送』が実施されました。
2010年代~
2010年代に入ると、CG技術が飛躍的に進歩し、それを駆使した映像演出が行われるように。
2020年の第71回紅白歌合戦は、新型コロナウイルス感染症の影響で、初めて無観客で開催されました。
しかし翌年の第72回には、再び観客を迎えての開催に。
そして、観覧募集が初めてインターネットで行われるなど、新たな試みも取り入れられました。
紅白歌合戦は、その時代の流行や社会を反映する存在とも言えます。
どんな曲やパフォーマンスが選ばれるかで、その時代のトレンドが分かりますよね(*’▽’)!
紅白歌合戦の昔と現在
紅白歌合戦の時代の違いを、昭和と平成・令和に分けて比較してみました。
時代背景や視聴者のニーズに応じた、違いが見えてきますよ(*’▽’)
視聴率と視聴スタイル
紅白歌合戦は、時代とともに視聴スタイルが大きく変化しました。
昭和の紅白 | 平成・令和の紅白 |
家族でテレビを囲む 大みそかの定番 視聴率→好調 | 視聴方法が多様化 個々の楽しみ方を重視 視聴率→不調 |
昭和では、家族全員で観るのが当たり前でした。
しかし平成・令和では、スマホや配信サービスの普及で多様化し、いつでも視聴できるように。
視聴率の変化からも、その様子がうかがえますよね。
リアルタイムじゃなくても
観れるからね
アーティストのジャンル
紅白歌合戦に登場する歌手たちは、その時代ごとの音楽トレンドを映し出す存在です。
昭和の紅白 | 平成・令和の紅白 |
演歌や歌謡曲が中心 大御所の歌手の存在が強い 昭和の歌文化 | J-POP・アニメ アイドル・YouTuber バーチャルキャラクター など幅広いジャンル |
演歌や歌謡曲のアーティストが中心だった、昭和時代。
しかし平成や令和になると、アニメやバーチャルキャラクターなど、幅広いジャンルが登場するようになりました。
▶️NEXT
— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) December 31, 2023
⬜#すとぷり/#スキスキ星人
初出場!
ネット発のアイドルユニット💫
驚きのCG演出に注目👀✨
⚡スマホでリアタイ!NHKプラスで見るhttps://t.co/8r6i5WGGs4#NHK紅白 #紅白歌合戦 pic.twitter.com/EWhiYPwfff
若い世代の視聴者を意識し、流行を積極的に取り入れているようですね。
これにより、かつての「家族で楽しむ紅白」から「個々で応援する紅白」へと変化しました。
紅白歌合戦の演出とテーマ
紅白歌合戦は、演出やテーマにも時代の変化が反映されています。
昭和の紅白 | 平成・令和の紅白 |
シンプルな舞台演出 歌で感動を伝える テーマ 「音楽で年を締めくくる」 | エンターテインメント性 多様性や共感を意識 テーマ 「つなぐ」「夢」など |
シンプルな演出から、現代の最新技術まで、その進化を見ると面白いですよね。
歌を魅せる演出が中心だった昭和から、時代の流れとともに、メッセージ性を持つ番組になりました。
紅白歌合戦の勝敗を決めるのは誰?
勝敗を決める審査においても、視聴者との関わり方が変化していきました。
昭和では観るだけでしたが、平成・令和では視聴者投票が可能に。
昭和の紅白 | 平成・令和の紅白 |
審査員や会場の観客が審査 視聴者が直接関与する 仕組みはない | デジタルデバイスの普及 などにより 視聴者投票が導入 |
視聴者投票が最初に登場したのは、1990年の第41回紅白歌合戦。
NHKでは「テレビアンケートシステム」という電話回線を利用して、全国200世帯の家族審査員による投票を実施したそうです。
その年によって審査方法が
変わる場合もあるみたい
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— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) December 31, 2023
最終投票
═════
テレビをご覧のみなさん
紅組が勝ったと思う方はリモコンの[赤]ボタン🔴
白組は[青]ボタン🔵で投票してください✨
貯まった票を好きな数に割り振って
投票することも出来ます!#NHK紅白 #紅白歌合戦https://t.co/KntT1g2cIw
現在では、SNS上の視聴者のリアクションも、大きな盛り上がりポイントですよね(*^^*)
変化した紅白歌合戦の存在
紅白歌合戦は、時代の流れとともに、存在価値も変化しています。
昭和の紅白 | 平成・令和の紅白 |
「大みそかの定番」 世代を超えて楽しめる番組 国民的行事 | 「紅白離れ」 いつでも視聴OK 別の形を楽しむ人も |
昭和の紅白は、年末の一大イベントとして、日本全国で親しまれてきました。
大みそかだけは
夜更かしOKだった
しかし現在では、若い世代を中心に「紅白離れ」が進み、リアルタイム視聴は、時代とともに少なくなりました。
紅白歌合戦は、昭和から平成、そして令和へと時代を越えて「大みそか」を代表してきたんですね。
感動と驚きの紅白エピソード集
紅白歌合戦は、生放送ならではのエピソードや、驚きの出来事が生まれる舞台でもあります(*’▽’)
感動再びAI美空ひばり
今もなお、国民的歌手として親しまれる、美空ひばりさん。
2019年の第70回紅白歌合戦では、映像と声をAIで復元した「AI美空ひばり」が登場しました。
30年ぶりの新曲「あれから」を披露し、歌う姿が映像で再現され、大きな話題になったのは記憶に新しいですよね。
紅白におけるAI技術の初挑戦として、注目されましたが、賛否を巻き起こす結果に。
SNSでも、多くの反響を呼びました。
小林幸子ラスボス化
「これぞ紅白」と言える、小林幸子さんの豪華絢爛な衣装。
スケールの大きさが、視聴者の注目を毎回集めましたよね。
第51回(2000年)に出場した際、小林幸子さんは「豪華衣装での出演はこれが最後」と宣言したものの、翌年には復活(*’▽’)
花をテーマにした衣装で、自身を花弁に見立て、大人数のスタッフを従えた豪華なパフォーマンスを披露しました。
その頃から、豪華な衣装がゲームの「ラスボス」に似ていると、ネット界隈で話題に。
ゲームの最後に出てくる
一番強い敵のことだね
愛称が「紅白のラスボス」になりました。
そうそう!美川憲一さんと小林幸子さんの衣装対決は、紅白歌合戦の恒例でしたよね。
ただ、実際に「対決」といえるような場面は、1回だけだったとか。
不仲説が流れることもありましたが…。
本当は仲良しなんだって!
衣装を盗まれた坂本九
坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、海外でも大ヒットし、今も多くの人に愛される名曲ですよね。
第14回(1963年)の紅白歌合戦では「見上げてごらん夜の星を」を、ずっと目を閉じて歌っていました。
感情があふれた?
実は本番直前に、衣装がすべて盗まれてしまったのだとか。
せっかくの大舞台『紅白』に、あり合わせの服で出演するしかなかった坂本九さん。
悔しくて泣きそうだったんですね。
何着も衣装を用意
していたらしいよ
アイドル界をリード松田聖子
松田聖子さんが「青い珊瑚礁」で初出場を果たしたのは、1980年の第31回紅白歌合戦です。
当時18歳という若さで、デビューからわずか1年足らずの快挙、瞬く間に大きな注目を集めました。
そんな聖子さん。
第35回(1984年)の紅白では、交際が話題となっていた郷ひろみさんと、手をつないでステージに登場。
驚きで会場をざわつかせました。
しかし、翌1985年には破局…(*’▽’)
その破局会見で、聖子さんが語った言葉は、今でも芸能史の名言として、語り継がれているんですって。
また生まれ変わった時、絶対一緒になろうねって約束したんです。
また「聖子ちゃんカット」は、当時の女性たちの間で大流行しました。
大流行の中、聖子さんがセミロングからショートカットにした際も、ヘアスタイルを真似する女性が続出。
髪型やファッションを通じて、時代を象徴する存在だったんですね。
松田聖子さんの登場により、アイドルブームはさらに加速。
1980年代の紅白歌合戦は「アイドル全盛期」を代表するステージとなったのでした。
吉川晃司炎上事件
第36回(1985年)の紅白歌合戦に、トップバッターで登場した吉川晃司さん。
曲中にシャンパンをまき散らしたり、持っていたギターを燃やしたりと、過激なパフォーマンスで人々を驚かせました。
初出場で気合が入り過ぎちゃった?
リハーサルにはない演出だったんですって。
ヤンチャだったのね
その後のステージに登場した、シブがき隊の布川敏和さんは、ギターを燃やす際に使ったオイルの影響で、転倒してしまったとか。
ただ「笑いを取るためにわざと滑った」というウワサもあり、真相は謎のままなんです(*’▽’)
加山雄三仮面ライダー事件
第37回(1986年)の白組トップバッターは、少年隊で曲は『仮面舞踏会』でした。
ところが、司会の加山雄三さんが曲紹介の際に「トップバッターは少年隊の…仮面ライダー!」と言ってしまい、会場に笑いが広がるハプニングが。
その様子を見ていた小林旭さんも、大爆笑していたそうです。
衣装が仮面ライダーに
似ていたから?
マント姿から、革つなぎスーツに早変わりする予定だった、東山紀之さん。
この間違いの影響かは不明ですが、間奏で脱ぐ予定だったズボンが、歌い始めに脱げてしまうというアクシデントが発生!
小林旭さん再び大爆笑
まとめ
紅白歌合戦は、1951年にラジオ番組としてスタートし、時代とともに変化してきました。
それでも、今なお年末の一大イベントとして多くの人に愛されています。
AI技術を使った演出や、幅広いジャンルの歌手が集まる『紅白』は、世代を超えて楽しめる番組なんですね。
今年は音楽と感動を楽しんで、新しい年を迎えてみてはいかがでしょうか(*^^*)
🟥第75回 #NHK紅白 ⬜️
— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) December 6, 2024
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「あなたへの歌」の
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