カトリック教会の頂点に立つ、ローマ教皇。
先代教皇の逝去を受け、新しい教皇を選ぶための秘密選挙『コンクラーベ』が、今注目されています。
このコンクラーベ。
選挙の方法が、とてもミステリアスで、興味深いものなんですよ。
新教皇はどうやって選ぶの?
選挙結果の伝え方は?
今回は、秘密選挙の舞台裏をのぞいてみましょう。
コンクラーベの様子がリアルに描かれた、映画『教皇選挙』も、全国公開中です。
映画を観に行く予定の方は、この記事を読めば、さらに楽しめるかもしれません(*’▽’)!
コンクラーベとは?ローマ教皇を選ぶ秘密の選挙

『コンクラーベ』とは、新しいローマ教皇を選ぶために行われる秘密選挙のことです。
ラテン語の「con clave(鍵をかけて)」という言葉が由来で、その名の通り、外部から完全に遮断された状態で行われます。

こんくらべ…

違う
この選挙に参加できるのは「枢機卿(すうききょう)」と呼ばれる、カトリック教会の特に位の高い聖職者たちだけ。
枢機卿は、教皇に任命され、教会の運営において重要な役割を担っている人たちです。

日本人の枢機卿もいるんだって
コンクラーベの起源
かつて投票に参加する枢機卿たちは、システィーナ礼拝堂内に閉じ込められ、新教皇が選出されるまで、そこから出ることは許されませんでした。
その理由は、13世紀の出来事が関係しています。
1268年、イタリアのビテルボで教皇クレメンス4世が亡くなり、教皇選挙が行われました。
しかし、18人の枢機卿がイタリア派とフランス派に分かれて対立。
3年もの間、ローマ教皇が選出されないという異常事態に。
教皇選挙が難航したため、当時のフランシスコ会総長・聖ボナベントゥラの提案で、ビテルボの人々は思い切った手段に訴えました。
枢機卿たちを宮殿に閉じ込め、鍵をかけ、外部との一切の連絡を禁じたのです。
食事もパンと水のみとし、武装した人々が宮殿を包囲しました。

とっとと決めるよう缶詰めにした…
その結果、1271年9月、6人の枢機卿による妥協案が成立。
イタリア人の教皇、グレゴリオ10世が選出されました。
この出来事を教訓に、教皇の座が長期間空位になる事態を避けるため、グレゴリオ10世は自ら、教皇選挙に関する規則を定めたのです。
これが、コンクラーベ(鍵をかけて)の始まりであるといわれています。
現在ではそのような慣習はなくなり、枢機卿たちはサン・マルタ館という宿舎で生活しながら、投票のためにシスティーナ礼拝堂へ向かうようになりました。
コンクラーベ期間中に外部との接触を絶つ理由
コンクラーベ期間中は、外部との接触は許されていません。
枢機卿たちは、電話、手紙、新聞、テレビ、インターネットなどのあらゆる通信手段を禁じられます。
その理由をまとめました。
- 外部からの影響の排除
世俗的な権力、政治的な圧力、メディアの報道、特定の人の意見など、あらゆる外部からの影響を遮断し、自由な意思で選出するため - 神の導きを求める環境
外部の騒音や情報から離れ、祈りに集中できる環境で、聖霊の導きを純粋に感じるため - 秘密投票の保護
外部への情報漏洩を防ぎ、枢機卿が安心して自身の判断で投票できる環境を確保するため - 速やかな決定への集中
集中的な議論と投票によって、迅速な教皇選出を目指すため - 教会の独立性の維持
外部の干渉を受けることなく、自主的に最高の指導者を選び出すという独立性を守るため
外部との連絡を絶つ理由は、新しい教皇を純粋な形で選ぶための工夫なんですね。
万が一、外部との接触が発覚した場合は、厳しい罰則を受けることもあるそうですよ…(*’▽’)
新しいローマ教皇の決め方は?

コンクラーベにおける新しいローマ教皇の選び方は、きわめて厳格なルールに則って行われます。
選挙権を持つのは…。
- 80歳未満の枢機卿
- 定員120人
ミケランジェロの傑作『最後の審判』で有名なシスティーナ礼拝堂で、コンクラーベが行われます。
コンクラーベの開始時期
コンクラーベは、前の教皇が亡くなった(または退位した)後、教皇の座が空位になってから、原則として15日以降に開始されます。
これは、選挙権を持つ、すべての枢機卿がローマに到着するのを待つためだとか。
ただし、すべての枢機卿が15日より前に揃った場合は、その時点でコンクラーベを開始することができるそうです。
また、特別な理由がある場合に限り、開始日を15日から数日延期できますが、20日を超える遅延は認められていません。
コンクラーベが始まるまでの流れ
コンクラーベ当日の午前中。
枢機卿団はサン・ピエトロ大聖堂に集まり、ミサを捧げます。
午後になると、選挙権を持つ枢機卿たちは、バチカン宮殿内のパウロ礼拝堂に集合。
聖霊の助けを願う歌『ヴェニ・クレアトール』を歌い、システィーナ礼拝堂へと移動します。

この移動の様子は
テレビ中継されます
システィーナ礼拝堂に到着すると、首席枢機卿の先導のもと、枢機卿たちは宣誓を行います。
宣誓が終わると、教皇庁儀典長が「全員退去」と宣言。
儀典長と講話を行う聖職者を除く、すべての人が礼拝堂から退出します。
儀典長が退出を確認した後、入口から内側に鍵をかけ、コンクラーベが始まるのです。

テレビ中継はここまで
新しい教皇が選ばれるまで投票は繰り返される
新しい教皇として選出されるには、投票に参加した枢機卿の3分の2以上の票が必要です。
1回目の投票は、コンクラーベ初日の午後。
もし、この投票で決まらなかった場合、2日目以降からは、午前2回・午後2回の計4回の投票が行われるのですが…。

ちょっと大変かも…
- 初日午後に1回、2日目以降~午前2回・午後2回
- 3日間の投票で決まらなければ、1日おいて同じ手順で投票
- 7回投票しても決まらなければ、また1日おいて7回投票
- それでも決まらなければ、また1日おいて7回投票
- それでも決まらない…
1日の祈りや考察、対話をし、前回の投票上位2人の得票者で決選投票を行う

決まるまで何度も投票が
繰り返されます
段階 | 期間 | 投票回数 | 未決定 |
---|---|---|---|
初期投票 | 初日午後 +2日間 | 初日1回 +各日午前午後計4回 | 次の期間へ |
祈りと再投票 (最大3期間) | 各期間1日祈り | 各期間7回 | 次の期間へ (最大3期間) |
最終段階 | 1日祈り・考察・対話 | 上位2名による決選投票 | 3分の2以上の得票で選出 ※上位2名は 投票に参加しない |
コンクラーベが終わるのは、新しい教皇が選ばれて、その選ばれた人が教皇になることを受諾した時になります。
コンクラーベの結果報告方法
コンクラーベの結果は、選挙で使用した投票用紙を燃やして、システィーナ礼拝堂の煙突から出る煙の色で知らされます。
黒い煙 | 白い煙 |
新しい教皇が 選出されなかった | 新しい教皇が 選出された |
以前は、教皇が決まらなかった場合、湿らせたわらを混ぜて投票用紙を燃やし、黒い煙を出していました。
しかし、1978年のコンクラーベでは灰色の煙が出てしまい、情報が混乱したそう。

えっ?どっち?
そのため現在は、明確な色を出すために、特殊な薬品を混ぜて燃やしているそうです。
2005年のコンクラーベからは、白い煙が出た直後にサン・ピエトロ大聖堂の鐘を鳴らすことで、正式な合図とすることが決まりました。
このように、コンクラーベでの教皇選出は、秘密裏に行われる厳格な投票と、煙の色と鐘の音という独特な方法で、その結果が伝えられるのです。
2025年コンクラーベ
2025年4月21日に、フランシスコ・ローマ教皇が亡くなり、教皇の座が空位となりました。

2025年5月7日から
コンクラーベが始まるよ
この時点で、枢機卿は252人。
そのうち、選挙権を持つ80歳未満の枢機卿は135人です。
定員120人をオーバーしていますが、今回は特に問題視されていないんですって。
病気を理由に参加を辞退した2名を除く、133名の枢機卿が参加する予定です。(執筆時点)
ローマ教皇が誕生したら?受諾から就任までの儀式

コンクラーベで、3分の2以上の票を獲得した枢機卿が現れると、いよいよ新しい教皇の誕生ですね!
その瞬間から、ローマ教皇になるための、いくつかの儀式があります。
ローマ教皇になることを受諾
選出された枢機卿に対して、首席枢機卿が「あなたは教皇として選出されたことを受け入れますか?」と確認します。
これに対し、選ばれた枢機卿が「アチェプト(はい)」と答え、受諾の意思を示します。
このやり取りによって、正式に教皇としての地位を受け入れることになります。
ローマ教皇になる準備
新しい教皇は、自分が教皇として名乗る名前を決めなくてはなりません。
過去の偉大な教皇の名前を受け継いでもいいし、自分の信仰や、使命を表す名前を選んでもいいんですって。
そして、あらかじめ準備された白い教皇服を、大・中・小のサイズの中から、体に合うものを選んで着用します。

コンクラーベが決まった時点で
すぐ仕立て屋さんに連絡して
準備を始めるんだって
着替えが終わると、枢機卿団が待機している礼拝堂に戻り、カメルレンゴ(教皇の秘書長)から新しい『漁師の指輪』を受け取ります。
新しいローマ教皇の誕生を発表
一連の儀式が終わると、新しい教皇の誕生が、バチカン広場に集まった人々に発表されます。
まず、枢機卿の最年長者が、サン・ピエトロ大聖堂のバルコニーから『アベムス・パパム!』と告げ…。

「我々に教皇が誕生しました!」
という意味です
続いて、新しい教皇が同じバルコニーに姿を現し、最初となるメッセージ『ウルビ・エト・オルビ(ローマと世界へ)』から始まる祝福を、人々に与えます。
そして数日後には、就任ミサが執り行われ、正式に教皇としての職務を開始するのでした。
ローマ教皇にまつわる意外な話
外部との接触を完全に断った秘密選挙、コンクラーベ。
映画『教皇選挙』では、リアルに、そしてミステリアスに描かれていますよね。
でも実は、この舞台裏には、興味深い話が隠されているんです。
いくつかご紹介しますね(*’▽’)
ローマ教皇の指輪『漁師の指輪』
新しい教皇には、特別な金の指輪が渡されます。
これは『漁師の指輪』といって、初代教皇ペトロがガリラヤ湖で漁師をしていたことに由来するとか。
教皇の権威を示す重要な道具『漁師の指輪』は、印章付き指輪(シグネットリング)です。

実印のようなもの
かつては、教皇が署名した文書に押印する印章として使われていましたが、実用的な使用は1842年に終了しました。
しかし現在でも、教皇が亡くなると、その印章の効力を正式に失わせるという意味合いを込めて、指輪を破壊する儀式が残っています。

印鑑登録の抹消みたいだね
新しい教皇が選出されると、新たな『漁師の指輪』が作られ、その名前が刻まれます。
いつも白い服を着ているのはなぜ?
ローマ教皇が、いつも白い教皇服を着ているのはなぜでしょうか?
それは、16世紀の教皇ピウス5世が、それまで一般的だった赤や金色の華やかな服をやめ、白い服を着用するようになったからです。
ピウス5世は元々ドミニコ会出身で、修道士時代から白い服を着ていたんだとか。
また、白という色には純潔、謙虚さ、そして神聖さといった意味合いがあることから、教皇のシンボルカラーとなりました。
バチカンには秘密通路がある?
バチカンに存在する、全長約800mの秘密通路『パセット・ディ・ボルゴ』
サン・ピエトロ大聖堂とローマのサンタンジェロ城を結ぶこの通路は、もしもの時に教皇が安全に避難するためのものです。
1494年、フランス軍のローマ侵攻の際、アレクサンデル6世がこの通路を通ってサンタンジェロ城へと避難しました。
そして1527年には、クレメンス7世が神聖ローマ帝国軍の略奪から逃れるため、スイス人衛兵と共にこの通路を通って難を逃れたのです。
現在『パセット・ディ・ボルゴ』の一部は一般公開されている場合があり、タイミングが合えば歴史的な通路を見学できるかもしれません。
ただし、公開状況は時期によって変わるので、お気を付けくださいね(*’▽’)
世界で一番小さな国のリーダー
バチカン市国の元首でもある、ローマ教皇。
世界で最も小さい国とされるその面積は、約0.44㎢です。
東京ディズニーランドよりも小さいんですって。
人口は約800人程度で、聖職者や衛兵、関係者とその家族で構成されてます。

バチカン国籍を持つ人は
その中でも600人ほど
バチカン市国は、聖地であるため、服装には注意が必要だとか。
特に女性は、観光客であってもサン・ピエトロ大聖堂などに入る際には、肌の露出を控えましょう。

半ズボンは禁止なんだって
バチカン市国は、国としての軍隊は保有していません。
しかし、教皇の安全を守るスイス衛兵隊が存在します。
彼らは、教皇の身辺警護をはじめ、バチカン市国の警備、そして重要な儀典における役割を担っています。
軍隊を持たない国ですが、万が一の有事の際には、イタリア政府がその安全保障の責任を負うことになっているそうです。
ローマ教皇の言葉はなぜラテン語?
カトリック教会の正式な言語の一つにラテン語があり、重要な文書や儀式に用いられることが多いです。
新しい教皇が、最初に世界に向けて語るメッセージ「ウルビ・エト・オルビ」もラテン語でしたね。
もちろん、その後には各国の言葉で翻訳されるのですが、なぜラテン語が使われるのでしょうか。
コンクラーベでラテン語が使われるのには、普遍性と歴史性という重要な理由があります。
ラテン語は、かつてローマ帝国の公用語であり、長い間カトリック教会の共通語でした。
そのため、母語が異なる世界中の枢機卿にとって、言葉の壁を越えて、意思疎通ができる共通のツールとなるのです。
- お互いの誤解を防ぐ
- 儀式の荘厳さを保つ
- 伝統を受け継ぐ

長い歴史を受け継いでいく
意味もあるんだね
コンクラーベで重要な役割を果たすラテン語ですが、バチカン市国の公用語でもあります。
ただし、日常的な業務や会話ではイタリア語が主に使われ、外交ではフランス語なども用いられることも。
バチカン市国では、複数の言語が共存しているんですね。
まとめ
秘密の選挙『コンクラーベ』を経て、新しいローマ教皇が選ばれる瞬間は、カトリック教会だけでなく、世界にとっても注目される出来事です。
システィーナ礼拝堂から立ち上る白い煙は、新しいローマ教皇の誕生を告げるサインでしたね。
ちなみに、コンクラーベの様子を描いた映画『教皇選挙』が大ヒットらしいです!

チケットが売り切れるくらいとか
外部との接触を絶たれた厳粛な雰囲気や、教皇選出の重みがリアルに、そしてミステリアスに表現されています。
ぜひ合わせてお楽しみくださいね(*^^*)!
システィーナ礼拝堂の内装や枢機卿の衣装に注目!
先日亡くなった、フランシスコ前ローマ教皇が愛用していた時計は、なんと日本製(*’▽’)!
いわゆる『ローマ教皇モデル』と呼ばれる時計です。
質素な生活を好んでいた、フランシスコ前教皇らしい時計ですよね。