7月10日は『納豆の日』って、ご存知でしたか?
わたしたちの食卓に、すっかりおなじみの納豆。
実はその誕生には、驚くようなヒミツがたくさん隠されています。
今回は、そんな納豆の起源や、初めて口にしたのは誰なのか、また納豆にまつわる意外と知らない話をご紹介します。
一緒に納豆の世界を探求しませんか(*’▽’)?
納豆の日はなぜ7月10日なの?

まずは、どうして7月10日が『納豆の日』なのか、からお話しますね。
「なっ(7)とう(10)」という語呂合わせから生まれたのは、ご想像の通り(*’▽’)!
もともと、この記念日が制定されたのは1981年のこと。
当時、関西地方では納豆が苦手な人が多くて、なかなか消費量が上がらなかったとか。
そこで、納豆の消費量を増やそうと、関西納豆工業協同組合が、この日を記念日として制定したのが始まりでした。

最初は関西地方だけだったんですね
その後、全国納豆工業協同組合連合会が、1992年に改めて7月10日を全国的な『納豆の日』として、制定し直したんです。

全国納豆工業協同組合連合会は納豆の魅力を全国に発信しているよ
今や納豆は、日本の食卓に欠かせない「国民食」となりました。
健康への意識から、その高い栄養価も注目されていますよね。
納豆ができたのは偶然?必然?

さて、では納豆が日本で食べられ始めたのは、いつからでしょうか?
実は、いつ、どこで生まれたのか、はっきりとした記録は残っていないんだとか。
だからこそ、色々な説があって、それがまた面白いんですよね(*’▽’)
源義家が偶然発見?平安時代説
最も有力とされているのは、平安時代説。
平安時代、1083年から1087年にかけて起こった「後三年の役」という戦いが起源だと言われています。
東北地方へ遠征していた源義家。
思いのほか戦いが長引き、馬の飼料が不足してしまいます。
そこで義家は、農民たちに大豆を差し出すように命令しました。
急ぎのことから、煮た大豆をよく冷まさず、熱いまま俵に詰めて差し出した農民たち。
すると数日後、煮豆はニオイを発し、糸を引いていたとか。

偶然にも発酵しちゃったんだね!
ニオイにつられた兵士たち。
食べてみると、意外に美味しかったんですって!

馬のごはん…
その煮豆は、馬ではなく兵士たちの食料になったというわけなんですね(*’▽’)
弥生時代から存在?自然発生説
もっと昔、弥生時代から納豆の原型は存在していた、という説も。
当時の人々が住んでいた、竪穴式住居の床には、稲ワラが敷いてありました。
納豆を作るのに欠かせない『納豆菌』は、枯草菌の一種で、空気中や枯れ草、藁など、身近なところにたくさんいます。
それに、納豆菌は暖かくて湿ったところを好む性質があるとか。
ですので、保温保湿性に優れた稲ワラは、納豆菌にとって最高の住処だったんですね。
当時の竪穴式住居は、適度に暖かかったので、まさに納豆菌の楽園!
そのまま食べるには、ちょっと固い大豆。
おそらく当時の人々も、大豆を煮て食べていたと考えられています。
もしこの煮豆が、床に敷いた稲ワラの上に、こぼれてしまったらどうなるでしょうか?
- 煮豆に納豆菌が付着
- 発酵室のような暖かい住居
- 納豆が誕生

納豆ができる条件がそろった!
こう考えると、日本の環境と納豆菌は、相性バッチリだったんですね。
聖徳太子の愛馬が関与?
意外な説として、聖徳太子説もあります。
聖徳太子の愛馬に、エサとして与えていた煮豆が余ってしまった!
捨てるのはもったいないと、藁に包んで保管。
しばらくすると、煮豆は糸を引くようになっていました。
でも、試しに食べてみたら美味しかったのが、納豆の始まりになったという説です。

みんな食べてみようと思うんだね
仏教が日本に伝わった飛鳥時代には、殺生を避けるという教えから、徐々に肉食が控えられていくようになりました。
そんな中で、大豆は貴重なタンパク源として、とても大事にされていたんです。
もしかしたら、納豆もその頃から、大切な栄養源として活用されていたのかもしれませんね。
中国からのルーツ?伝来説
中国から伝わった、という中国伝来説もあります。
これは、粘り気のある糸引き納豆とは少し違う『塩辛納豆』や『寺納豆』がルーツだという説です。
塩辛納豆は、大豆を煮て麹菌で発酵させ、塩漬けにして乾燥させたもの。
納豆菌ではなく、麹菌で発酵させるから、納豆の特徴でもある糸は引かないんですって。
唐(現在の中国)に留学したお坊さんによって、日本に伝えられました。

お寺で作られることが
多かったから『寺納豆』
それが、日本の風土の中で独自の進化を遂げ、今の糸引き納豆になっていったのかもしれませんね。
納豆を初めて食べたのはだれ?
では、初めて納豆を食べたのは誰でしょうか?
だって、あんなに糸を引いているのに、口に入れるのってかなりの勇気がいりますよね!

腐ってると思いつつ
なんで口に入れたんだろう?
はっきり「この人!」とは特定できません。
ただ、先ほどお話した源義家と兵士たちが、初めて意識的に口にした人たちだった可能性が一番高いでしょう。
また、戦国時代に活躍した加藤清正も、納豆の「発見者」の一人ともいわれています。
朝鮮出兵の際に、食料として持参した煮豆を俵に入れて保存していたところ、いいニオイがしてきたそう。
清正は「食料を腐らせてしまった!」と一度は落胆したものの、その香ばしいニオイにつられて、糸を引いた煮豆を食べてみたんだとか…。

これがまた美味しかった!
その後、納豆は少しずつ庶民の食卓にも広まっていきました。
特に、水戸藩と納豆は、切っても切れない関係です。
水戸黄門として知られる徳川光圀が、納豆を奨励したというエピソードも残っているとか。
おかげで、水戸は納豆の産地として知られるようになりました。
納豆を知ればもっと好きになる!

納豆には、歴史上の人物から名前の由来まで、知るともっと好きになるような、お話がたくさんあります。
歴史上の偉人も納豆好き?
歴史上の人物で『納豆好き』と言えば、徳川家康が有名です。
彼は健康にとても気を使っていて、納豆を好んで食べていたんだとか。
もしかしたら、あの丈夫な体は納豆が支えていたのかもしれませんね。
戦国時代には、手軽に食べられる高栄養の携帯食として、武将たちにも重宝されていたようです。

携帯するにはちょっと臭うけどね
『納豆』という名前のヒミツ
『納豆』という言葉の由来も、気になりますよね。
この文字が最初に文献に出てくるのは、平安時代のこと。
当時の大衆芸能や、庶民の生活などを描いた「新猿楽記」という書物に登場しています。
ただし、ここでいう納豆とは、今のような糸を引く納豆ではなく、塩辛納豆を指しているとか。
先ほども登場した、塩辛納豆は別名『寺納豆』とも呼ばれていましたね。
そのため「お寺の納所(なっしょ)で作られた豆だから納豆」といわれるようになった説が有力です。

納所はお寺の台所や
雑務を行う場所です
- 豆を桶や壺に納めて貯蔵していたから
- 神様に納めた豆だから
などなど、他にも諸説あります。
すごすぎる!納豆の健康パワー
さて、わたしたちが日頃食べている納豆は、本当にすごい食べ物なんですよ。
- 酵素「納豆キナーゼ」
血液をサラサラにする効果がある - ネバネバ成分
腸内環境を整えたり、免疫力を高めたりする働きが期待できる
日本人が長寿なのも、納豆と関係があるかもしれませんね(*’▽’)
まとめ
普段何気なく食べている納豆には、こんなにも奥深い歴史とたくさんのヒミツが隠されていたんですね!
偶然の発見から生まれた、奇跡の食品『納豆』
戦国の世を支え、歴史上の偉人に愛され、今やわたしたちの食卓に欠かせない存在になりました。
7月10日の『納豆の日』には、ぜひいつもの納豆を、ちょっと特別な気持ちで味わってみてくださいね。
そのネバネバの一口に、意外と知らない納豆のヒミツが感じられるかもしれませんよ(*’▽’)!