二宮金次郎の像って、かつて多くの小学校に置かれていましたよね。
最近、少しずつ像が消えていることに、お気づきでしょうか。
児童のお手本として、日本の小学校に置かれていた二宮金次郎像。
消えている理由は?
調べてみました!
この記事では『学校の気になる』をお届けします。
二宮金次郎の像はなぜ撤去された?
結論からいうと『時代背景と教育方針の変化』が、主な理由のようです。
小学校の老朽化や、校舎の立て直しにともなって、撤去がすすんでいるんだとか。
という、保護者の声も多いんですって。
撤去は時代の流れなんだね
戦時中には「金属類回収令」によって、二宮金次郎の銅像もその対象になり、小学校から撤去されたこともありました。
お鍋やお寺の鐘なども
国に回収されたんだって
戦後は前述の理由に加えて、下記の事情もあるようです。
また児童が「歩きながら本を読む姿」の真似して、交通安全上危険なんだとか。
歩きスマホを連想させるそう…
二宮金次郎像の撤去後、あらたに設置するにも難色を示されてしまうそうです。
ただ、全部の小学校で撤去されているわけではありません。
現在は座っているタイプの金次郎を設置する学校もあります。
ニュータイプだね!
金次郎の教えは、いつの時代も子どもに伝えたいものなんですね。
そもそも二宮金次郎ってだれ?
小学校にある二宮金次郎の像は、薪を背負い、本を読みながら歩いている姿がほとんど。
親の仕事を手伝いながら勉学に励む姿は、現代ではピンとこないですよね。
二宮金次郎の生い立ち
金次郎という名は幼名や通称で、本名は二宮尊徳とされています。
裕福な農家に生まれましたが、川の決壊で田畑と家が流され、大きな借金を抱えることに。
家計を支えるために、朝は薪をとり、夜はわらじ作りをしていたんですって。
母が亡くなった後、叔父に引き取られた金次郎。
「本を読む時間があったら働け」と言われてしまい、なかなか勉強ができませんでした。
仕事が終わった夜遅くに
読書をしていたそうですよ
ちなみに、二宮金次郎の像が読んでいる本は、中国の古典『大学』
政治学・帝王学の本だね
貧しいながらも、逆境に負けなかった金次郎は、空き地に稲の捨て苗を植え、収穫して収益を増やしました。
地道に倹約を重ねて、余った分で再生産。
最終的には、実家の田畑を買い戻して、一家の経営再建に成功しました。
意外にも金次郎。
身長は180cm強、体重は94kgあったと言われています。
大きいね!
ちなみに、タレントの足立梨花さんの結婚相手「HANDSIGN」のTATSUさんは、二宮金次郎の末裔なんですって。
歌とストリートダンスに、手話を取り入れた活動を日本で最初に始めたんだとか。
TATSUさんも金次郎のように、困っている人に手を差し伸べられる人なのかもしれませんね。
二宮金次郎の報徳思想
『報徳思想』とは、二宮金次郎の根本的な思想です。
人は天・地・人の徳に報いるために、自ら徳行を実践しなければならないとの考えですね。
金次郎が生み出した思想なんだって
報徳思想を、簡単にまとめます。
- 至誠(しせい)
まごごろ・生き方の中心となるもの - 勤労(きんろう)
社会の役立つ成果を考えながら働く - 分度(ぶんど)
立場をわきまえ、それに相応しい生活をする - 推譲(すいじょう)
お金を家族や子孫のために貯めておく
また他人や社会に譲る
二宮金次郎はこの報徳思想を広め、武家や潘家の財政を立て直したり、村の救済や復興をおこなって、多くの地域に貢献しました。
今でいう経営コンサルタント
みたいだね
名だたる実業家たちも、二宮尊徳の思想に影響をうけたんですって。
会社の経営方針に
使われたりもするよね
まじめに勤労に励む金次郎は、たくさんの人に慕われていたことでしょう。
二宮金次郎の像が小学校に設置された理由
二宮金次郎の像が小学校に設置された理由は『国民の育成と産業の発展のため』と考えられています。
国民の育成が目的
二宮金次郎が像になったのは、国によって「勤労・勤勉」のモデルとされたから。
当時の日本の教育方針なんだね
二宮金次郎が亡くなった後、娘婿の富田高慶は金次郎の徳行や言論を『報徳記』にまとめました。
この『報徳記』を読んだ明治天皇が、宮内省に印刷させて、県知事などに与えたんですって。
これによって、二宮金次郎の名前と業績が、全国に知られるようになりました。
幸田露伴が、少年少女のための文学として、明治24年に『二宮尊徳翁』を出版。
この本の挿絵に「薪を背負って読書をしながらあるく金次郎」が使われたことによって、銅像のイメージが定着したそうです。
働きながら勉強をしていたことを、分かりやすく表現するために描かれただけとの話も。
薪を背負って読書をしていた…
という事実は証明できていない
明治から昭和初期は、日本人のお手本として、教科書にも取り上げられました。
「自主的に国に貢献・奉公する国民の育成を目的」として、二宮金次郎が利用されたといわれています。
昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって、全国の小学校に、二宮金次郎の像が多く建てられました。
立像の大きさは1mとされ、子どもたちに長さを教えるのにも活用されたとか。
これが、小学校に二宮金次郎の像が置かれた理由のひとつです。
産業の発展のため
金次郎を、子どもたちのお手本にしたかったのもひとつですが、大人の事情も関わっているようです。
- 昭和3年、昭和天皇の即位式にともなう記念行事が各地で開催
- 神戸証券取引所理事長の奥様が御大典記念事業として、全国83ヵ所へ二宮金次郎像を寄付
- 富山県の鋳造業者が二宮金次郎像を、全国の小学校市場のための産業に発展させる
- 全国の小学校で二宮金次郎像を設置することが流行った
金次郎の像が流行ったの!?
記念行事に便乗して、商売ができると考えたのでしょうか。
二宮金次郎は、石材業者や鋳造業者の産業発展にも、貢献したことになりますね(*’ω’*)
二宮金次郎像の学校の怪談
学校の怪談のひとつとして、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
動く二宮金次郎像
放課後や夜中になると「校庭にある二宮金次郎の像が動き出す」という学校の七不思議です。
勤労で勤勉であった金次郎が、校庭を駆け回るとは考えにくいけど…。
でも確かに、像には足があるので動けますね!
これも、二宮金次郎の像が危険と言われる理由のひとつだったりして(*’▽’)
学校によって、他にもあるようですよ。
怖い怖い…
児童に迷惑がかからない時間帯に、動いているのも金次郎らしいですよね。
まとめ
小学校から二宮金次郎の像が消えたのは「現代の教育方針に合わないから」が、主な理由でしたね。
たしかに今の時代、働きながら勉強している子はほとんどいません。
本を読みながら歩くことが「スマホのながら歩きを連想させる」は、ちょっと大げさなような気もしますが…。
たしかに真似したら危ないですけどね。
小学校の頃真似している
男子いたわ!
学校の老朽化や校舎の立て直しにともなって、少しずつ撤去していることもわかりました。
保護者の声によって、あらたに設置することが難しいことも。
ただ、現代のニーズに合った「座って本を読む二宮金次郎の像」も作られているようなので、見つけたら教えてくださいね(*’▽’)