夏といえば、高校野球の季節ですね!
実を言うと、わたしは野球に興味ありません。
でも、高校球児たちのひたむきな姿を見ると、ついつい見入っちゃうんですよね。
漫画「タッチ」も、高校野球が舞台でした。
まさに、あの漫画を読んでいた世代です(*’ω’*)!
そんな熱い高校野球や甲子園が、一体いつから始まったのか気になりませんか?
この記事を読めば、今年の夏は、きっと今まで以上に高校野球を楽しめるはずです。
〈第107回全国高等学校野球選手権大会〉
大会日程
2025年8月5日㈫~2025年8月22日㈮
公式ホームページ
高校野球のルーツを探る!

高校野球で楽しみなのは、やっぱり甲子園での球児たちの熱い戦い!
でも、その歴史には意外な始まりがあったんです。
ここでは、高校野球がどのようにして生まれたのか、そのルーツに迫ってみましょう。
球児たちの夢舞台!高校野球の始まりはいつ?
夏の高校野球『全国高等学校野球選手権大会』は、今から100年以上も前の、1915年(大正4年)に始まりました。
当時の名称は『全国中等学校優勝野球大会』
「あれ?高校野球なのに中等学校?」と、不思議に思われるかもしれませんね。
中等学校というのは、当時の旧制中学や商業学校、工業学校などのことです。

現在の高等学校にあたります
第1回大会に参加したのは、全国からたったの10校。
その時に優勝した、京都二中の選手たちが地元に帰った際には、すごい騒ぎになったとか。

6台の車に分かれて
パレードしたんだって
パレードでは、京都の四条河原町の交差点が、人であふれかえり、大丸京都店からは紙吹雪が降り注いだそうです。
この熱狂ぶりが、後の高校野球の爆発的な人気につながっていったんですね。
初めての大会は甲子園球場ではない
実は、記念すべき第1回大会の球場は、甲子園球場ではありません。
大阪府豊中市にあった「豊中グラウンド」という場所で開催されました。
当時の豊中市は、駅前に10軒ほどの民家が建つだけの、とても静かな田舎町。
そんな場所に、わざわざ球場が造られたんですね。
しかも、その球場は今のような立派なものではなく…。

備え付けの観客席は
なかったんだって
大会の時だけ、丸太を三段ほど組み、よしずの屋根をかけた仮設スタンドを設置していたんだとか。

手作り感ある!
勝利の裏には、意外な本音も?
当時は遠方からの参加も大変で、旅費こそ支給されたものの、現地での滞在費は各校負担でした。
経費削減のため、開会式直前に現地入りして、試合が終わればすぐ帰るという、慌ただしいスケジュールだったんですって!
もし勝ち進めば、その分滞在費もかさんでしまいますよね。
どこも予算が少なかったようで、野球部長やマネージャーは、内心「早く負けてくれ~」って思っていた、なんてエピソードも残っています。
選手たちの熱い思いとは裏腹な、ちょっと切ない現実があったんですね…( ;∀;)
聖地・甲子園球場の誕生秘話

高校野球の代名詞ともいえる、甲子園球場。
誕生から、現在の姿になるまでをご紹介します。
高校野球の聖地「甲子園」は縁起の良い名前!
高校野球の聖地『甲子園球場』が誕生したのは、1924年8月1日です。
阪神タイガースの親会社である、阪神電気鉄道(阪神電鉄)が建設しました。

建設中の仮称は「江戸川運動場」
だったんだって
「甲子園」という名前の由来、気になりますよね。
球場が誕生した1924年は、十干(じっかん)の「甲(きのえ)」と、干支(えと)の「子(ね)」が60年ぶりに合わさる、大変縁起の良い年だったそう。
この「甲子(きのえね)」にちなんで、球場を「甲子園大運動場(当時の名称)」と名付けたんですって。

パワースポットになりそう!
どうして甲子園が建てられたの?
ところが、大会の規模が大きくなるにつれて、豊中グラウンドや、その後使われた鳴尾球場では、観客の収容や交通面で支障が出るようになったんです。
あまりの人の多さに、観客がグラウンドになだれ込み、試合が中断することもあったとか。
そのため、阪神電鉄は大規模な野球場を建てることにしました。

これが甲子園の誕生です
当時のアメリカ・ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地「ポロ・グラウンズ」が、モデルなんですって。
開場した当時は、なんと総収容人数が約5万人!
まさにマンモススタジアムで、多くの観客が安心して野球を楽しめる場所ができたんですね。
あのツタや芝生はいつからあったの?
外壁を覆うツタは、甲子園球場のシンボル!
球場ができた1924年の冬に、殺風景だったコンクリートの壁を飾る目的で植えられたそうですよ。

素敵ですね!
2006年のリニューアル工事で、伐採された時期もあったのですが、その後「ツタの里帰り」として復活しました。
今も外壁に沿って、ツルをぐんぐん伸ばすツタ。
美しい緑で球場を彩るだけでなく、ヒートアイランド現象を和らげるなど、環境にも貢献しています。

ただオシャレなだけじゃない
現在の芝生のグラウンドも、球場ができたばかりの頃は土だけだったんですって。
天然芝が張られたのは、1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけてのこと。
少しずつ時間をかけて、今のような甲子園球場の姿になっていったんですね。
高校野球の戦後から現在まで
戦争による中断を乗り越え、高校野球は発展していきます。
戦争の影響は高校野球にも
実は、わたしたちを熱狂させる高校野球にも、つらい歴史がありました。
1941年、第二次世界大戦が激しくなるにつれて、国は軍隊への動員を進めるため、全国規模のスポーツ大会を中止するようになります。
その年に予定されていた第27回全国中等学校優勝野球大会も、中止となってしまいました。
1942年「戦意高揚」を目的とした、大日本学徒体育振興大会が開かれることになり、その一環として中等学校野球が甲子園球場で行われたんです。
しかし、これは「全国中等学校優勝野球大会」とは別の大会として扱われたため、公式な記録には残っていません。

幻の甲子園って呼ばれて
いるんだって
この大会を最後に、中等学校野球は一時中断されてしまいます。
再開したのは、終戦から2年後の1947年。
待ちに待った球児たちの熱戦が、再び甲子園で繰り広げられるようになったんですね。
「中等学校野球」が「高校野球」に変わった理由
戦争が終わり、日本の教育制度は大きく変わりました。
学制改革によって、それまでの旧制の中等学校は、現在の「高等学校」へとなったんです。
これに伴って、大会の名前も『全国高等学校野球選手権大会』へと変更されました。
また、高校野球の形も、この頃から少しずつ作られていったようですよ(*’▽’)!
たとえば、選手たちのユニフォームに背番号が正式につけられるようになったのは、1952年の第34回大会からだそう。

それまでは背番号が
なかったんだって
テレビでの実況中継が始まったのは、さらにその翌年の1953年のこと。
こうして高校野球は、長い時間をかけて今の姿になっていったんですね
まとめ
高校野球と甲子園の歴史は、日本の教育や社会の移り変わり、そしてたくさんの人たちの熱い想いが詰まっていました。
球児たちが白球をひたむきに追いかける姿は、野球に興味がなくても感動します。
その背景にある歴史や、昔の人たちの努力に注目してみると、違った楽しみ方ができるかもしれませんね。
今年の夏も、甲子園から生まれるたくさんのドラマを、一緒にめいっぱい楽しみましょう(*’ω’*)!
【第107回全国高校野球選手権大会 入場券情報】
— 日本高等学校野球連盟 (@official_jhbf) July 11, 2025
8月5日より開幕する選手権大会の入場券を
7月18日から発売します🌻🫧
料金や発売方法、他詳細については当連盟HPをご覧ください。https://t.co/WnQhGLgbNf


