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初心者でも楽しめる【箱根駅伝】山の神から感動エピソードまで

箱根駅伝の歴史アイキャッチ画像 日常
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お正月の風物詩である『箱根駅伝』

毎年、数多くの感動的なドラマが生まれるこの大会は、日本中で大きな注目を集めますよね。

でも「箱根駅伝ってどんな大会?」と、思っている方が多いのも事実。

今回は、初心者でも楽しめるように、箱根駅伝の歴史や各区間の特徴、伝説のエピソードをご紹介します!

知られざる魅力を知れば、きっとお正月の楽しみが増えるはず(*^^*)

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箱根駅伝が生まれたきっかけと歴史

『箱根駅伝』が、日本で初めて開催されたのは1920年です。

まるる
まるる

『東京箱根間往復大学駅伝競走』
が正式名称だよ

大学間の競技大会としては、とても歴史が深いものなんですって。

箱根駅伝のベース

箱根駅伝が誕生した背景には「世界で戦えるランナーを育てたい」という強い想いがあったからでした。

この想いの中心にいたのが「マラソンの父」とも呼ばれる金栗四三氏です。

彼は東京高等師範学校(現在の筑波大学)の学生時代、1912年のストックホルムオリンピックに、マラソン選手として参加。

しかし途中で棄権し、悔しさを抱えたまま帰国したんですって。

1917年には、日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が開催されました。

これは、読売新聞社が主催した大博覧会の、協賛イベントとして企画されたものです。

京都から東京までの約516kmを23区に分け、昼夜を問わず3日間で走り抜くという、壮大なタスキリレーでした。

この東西対抗の競走が大成功を収め、後の箱根駅伝のベースとなったそうですよ(*’▽’)

箱根駅伝の誕生

ストックホルムオリンピックでの苦い経験から、世界との大きな差を感じていた金栗氏。

それから1919年、金栗氏(独逸学協会中学校教員)と野口源三郎氏(東京高等師範学校教員)、そして沢田英一氏(明治大学生)の3人の会話がきっかけとなり、箱根駅伝の構想が生まれました。

金栗氏は、報知新聞社の企画課長であった寺田瑛氏に、協力を依頼します。

さらに箱根駅伝の構想に向けた意義を、各大学や師範学校、専門学校に熱心に伝え、参加を募集しました。

そして、1920年2月14日午後1時。

「四大校駅伝競走」として4校が参加した、第1回大会が開催されました。

  • 早稲田大学
  • 慶應義塾大学
  • 明治大学
  • 東京高等師範学校(現筑波大学)

当時は学生の数も限られており、20km走る選手を10人集めることすら大変でした。

とくに日が落ちた5区では、悪路と雪をかき分けながら、地元の長距離選手が伴走したそうです。

青年団がたいまつで照らす中、選手たちは懸命に走り抜けたんですって。

当時の時代背景と名称の由来

スポーツ界をリードする、先駆者たちの努力の結晶で、誕生した箱根駅伝。

第一次世界大戦が終わり、多くの悲しい記憶が残る一方で、東海道沿いの道路は工場地帯の発展とともに広がり始めていました。

そんな時代の流れの中で、スポーツ界にも前向きな気持ちが生まれ、競技への熱意や向上心が、どんどん高まっていたようです。

『駅伝(えきでん)』という名前は、奈良時代に整備された、中央と地方を結ぶ幹線道路「駅制」が由来といわれています。

まるる
まるる

道路を走るのに「駅」伝
なんだね

当時、幹線道路を往復する役人が使用していた「駅馬」や「伝馬」が、そのヒントになったとか。

この命名を行ったのは、神宮皇學館の館長であった武田千代三郎氏です。

文鳥
文鳥

日本初の駅伝が開催された時に
命名されたんだって

現代の箱根駅伝はお正月の風物詩に

箱根駅伝で走る選手たち
出典:https://www.hakone.or.jp/

今や箱根駅伝は、日本のお正月に欠かせないイベントとなり、毎年1月2日と3日に開催されています。

〈箱根駅伝〉
東京から箱根までの往復約200kmを
10人の選手がリレー形式で走る競技

参加するのは、関東地方の大学生で、毎年20校以上が出場します。

各区間には特徴があり、とくに山上りの「5区」や山下りの「6区」では、選手の体力と精神力が試されます。

箱根駅伝は、ただのスポーツ大会だけではなく、努力や絆を感じる瞬間が魅力的ですよね。

文鳥
文鳥

逆転劇とかもある!

また、家族や友人と一緒に、観戦することも多い箱根駅伝。

まるる
まるる

みんなで応援するよ!

思わず声を張り上げて応援したり、ゴールの瞬間に感動して、涙を共有することも。

そんな時間を通じて、自然と絆が深まったり、一体感を感じられるのも、箱根駅伝の魅力のひとつです。

「あの選手すごかったね!」
「来年は現地で見たいね!」

なんて、観戦後の会話も盛り上がったり…。

箱根駅伝は、伝統的なお正月のイベントとなったのですね(*^^*)

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知っておきたい区間の呼び名と見どころ

箱根駅伝は、東京・読売新聞社前(大手町)から箱根・芦ノ湖までの往復を、10区間に分けて行われます。

箱根駅伝のルート
出典:https://www.hakone.or.jp/
まるる
まるる

各区間の呼び名と見どころを
簡単にご紹介

往路1区(読売新聞社前〜鶴見)

流れを決める1区・21.3km

箱根駅伝スタートの1区は、いかに好位置で次にタスキを渡せるかが、カギとなります。

この区間は、平坦な道が続くものの、実力のある選手が集まりやすく、速いペースで進むことが多いそう。

またスタート直後に飛び出して、逃げ切りを狙う学校もあり、各校の戦術も見どころですね。

文鳥
文鳥

大逃げっていうんだって

まるる
まるる

選手同士の駆け引きも気になる

1区の順位が、その後のレース展開に大きく影響を与えるため、とても注目される区間です。

往路2区(鶴見〜戸塚)

花の2区・23.1km

各校のエース選手が集まることから『花の2区』と呼ばれる、箱根駅伝の最長区間。

箱根駅伝だけでなく、2区はその後の展開を左右する、大事な区間として知られています。

ただし、各校のエース選手は実力がほぼ同じであるため、大きな差がつくことはあまりありません。

ペース配分のミスや予期せぬトラブルがなければ、この区間の結果が、総合優勝に影響することは少ないとされています。

勝負を分ける、上り坂「権太坂」と「戸塚の壁」の攻略がポイント。

前の区間で遅れを取ったチームが、2区で実力ある選手を投入して、一気に順位を上げることが多いんですって。

何人もの選手を抜いていく「ごぼう抜き」が見られることも(*’▽’)

往路3区(戸塚〜平塚)

街から海へ3区・21.4km

3区はかつて『つなぎの区間』と言われ、大きな変動が少ない区間とされてきました。

しかし近年では、エース級の選手を戦略的に配置するチームも増えています。

ここで、確実に力を発揮できる選手がいるかどうかが、後半の展開を左右する重要なポイントです。

左手に相模湾、正面に富士山が望め、箱根駅伝で最も景色が良い区間とも言われているんですって。

東京から小田原までのコースは、東海道線に近いので、走り終えた選手やコーチ、監督たちが電車を利用することもあります。

もしかしたら、移動中の選手や監督に会えるかもしれませんね。

文鳥
文鳥

おそろいのグラウンドコート
着てるからすぐ分かるよ

往路4区(平塚〜小田原)

海から山へ4区・20.9km

第82回大会(2006年)から第92回大会(2016年)までの間は、区間距離が18.5kmと最短だった4区。

箱根駅伝唯一、20kmを切る区間でした。

この理由には、「中距離選手にも箱根を経験する機会を与えたい」という意図があったそうです。

しかし、細かいアップダウンが続くため、思ったほどスピードが出せません。

スピードランナーは、3区に配置する学校が多かったことから、4区には10番手や1年生が起用されていました。

第93回大会(2017年)からは、距離が20.9kmに延長。

これは「短い距離がマラソン向きの選手の成長を妨げている」との懸念があったため、再び変更されたそうです。

上位のチームは、後続との差を広げて5区につなげようとし、下位のチームは前を追い上げるために、エース級の選手を投入することもあるんですって。

文鳥
文鳥

各チームの戦略が問われるね

往路5区(小田原〜箱根・芦ノ湖)

山上りの5区・20.8km

箱根駅伝の見せ場『山上りの5区』

天下の険・箱根の山、標高差864mを駆け上がる過酷な区間です。

平地より気温がかなり低いため、タンクトップではなく、袖付きのユニフォームやアームウォーマーを着る選手もいるんですって。

精神力と体力の限界に挑む姿が、見る人を引きつけますよね(*’▽’)

この区間からは「山の神」と呼ばれる、伝説的な選手が多く誕生しました。

小涌園手前には、箱根登山電車の踏切があります。

選手が通過するときには、列車を踏切の手前で一旦停止させるそうですよ。

復路6区(箱根・芦ノ湖〜小田原)

山下りの6区・20.8km

『山下り』といわれる6区は、5区とは逆に箱根の山を下る区間です。

膝や足に大きな負担がかかるため、下りの技術が求められます。

朝8時台に、高地からスタートするため、気温が氷点下まで下がることも。

雪が降ることも珍しくなく、選手は寒さに対する工夫が必要になってきます。

また、路面が凍って滑りやすくなることもあり、下り坂で転んでしまう選手もいるとか。

箱根駅伝の中でも、とくに難しい区間なんですって。

復路7区(小田原〜平塚)

気温との戦い7区・21.3km

7区は、気温の変化が最も激しい区間であり、まさに気象条件との戦いです。

スタート時は山おろしの寒風にさらされ、それが海沿いに出ると海風へと変わるため、晴天時には体感温度が急上昇することも。

かつて7区も「つなぎ区間」と呼ばれ、走力がそれほど高くない選手を、配置することが多い区間でした。

しかし、2010年代以降は『復路の2区』として注目されるように。

優勝を目指す大学にとっては、ここにどれだけ力のある選手を配置できるかが、勝負のポイントになっています。

比較的平坦で走りやすいため、体調が万全でないエース級の選手が、起用されたりもするんですって。

文鳥
文鳥

フリーザ軍団がいるかも?

復路8区(平塚〜戸塚)

勝負の8区・21.4km

前半は平坦で走りやすい道が続きますが、藤沢を過ぎると難所「遊行寺の坂」が待ち構えています。

日差しが強いと、脱水症状を起こしてしまう可能性も。

そのため優勝を逃したり、棄権に追い込まれたチームもあったとか。

この区間で失速してしまうと、後の2区間に大きな影響を与えるため、選手の体調管理が重要になってきます。

またこの区間は、当日のエントリー変更が多く、選手の3分の2ほどが入れ替わることも珍しくありません。

10位前後の大学にとっては、次年度のシード権がかかる、緊張感の高まる区間になります。

ここでは「〇_〇」と描かれた旗を持つ、観客の姿が…。

まるる
まるる

カセットテープの巻き戻しを
イメージしたらしい

文鳥
文鳥

順位を巻き戻せ!ってね

20年近く前からの、箱根駅伝名物なんですって。

復路9区(戸塚〜鶴見)

松の9区・23.1km

往路『花の2区』に対して『松の9区』と呼ばれています。

まるる
まるる

復路のエース区間とも

エース級の選手が競い合う場面が多く、判断力と実行力が求められる、重要な区間なんですって。

終盤の長い距離を走るこの区間では、優勝を狙うチームだけでなく、次年度のシード権をかけた、熱い戦いが繰り広げられます。

各チームがプライドをかけて粘り強く走り、大逆転が起きることも。

文鳥
文鳥

目が離せない!

交通の便利さもあって、毎年横浜駅前には、たくさんの駅伝ファンが集まるんですって。

復路10区(鶴見〜読売新聞社前)

最終10区・23.0km

優勝やシード権争いの決着がつき、最もドラマチックな展開が繰り広げられる、最終区間10区。

往路の1区とは違い、馬場先門から日本橋を通るコースなんですって。

ビル風によって、選手へ影響が出ることも。

また、ゴールが近づくにつれ、沿道には多くの観客が集まり、大きなプレッシャーがかかる区間でもありますよね。

期待に応えようと、全力を出してゴールを目指す選手たち。

その姿は、私たちにたくさんの感動を与えてくれます(*^^*)!

箱根駅伝の英雄たちが生んだニックネーム

箱根駅伝では、活躍した選手に称号がつけられることがあります。

これも、駅伝を楽しむポイントのひとつ(*^^*)

山の神

箱根駅伝の過酷な5区『山上り』

ここで、驚異的な走りを見せた選手に贈られる称号が「山の神」です。

まるる
まるる

体力と精神力が試される5区

初代「山の神」は、2005年から2007年にかけて活躍した、順天堂大学の今井正人選手

日本テレビのアナウンサーだった、河村亮さんの実況がきっかけでした。

今、山の神、ここに降臨!
その名は今井正人!

彼の見事な走りは、順位逆転を成し遂げるなどチームに大きく貢献し、多くの人々に感動を与えました。

文鳥
文鳥

まさに神がかり的な走り!

その後も2代目、3代目といった形で、受け継がれています。

「山の神」は、ただ速いだけではありません。

厳しい山上りに挑む姿勢や精神力、そしてチームを救うヒーローのような存在なんですって。

山の妖精

城西大学の櫛部静二監督が、5区で区間新記録を出した、山本唯翔選手へ贈ったのは『山の妖精』という称号です。

おまえは山の神にならなくていい
山の妖精になろうぜ

この櫛部監督の励ましの言葉が、きっかけでした。

また、山本選手の魅力的で可愛らしい雰囲気も「山の妖精」にピッタリだと、話題になったとか(*’▽’)

若の神

青山学院大学の原晋監督から『若の神』と名付けられたのは、若林宏樹選手です。

その由来は「和歌山県生まれの若さあふれる若林」から。

5区を快走した若林選手に対して、原監督が称賛したことがきっかけなんですって。

山の神にはなれなかったけど
良いところまで来てくれた

箱根駅伝には、選手が残した印象深い活躍が、愛称となって親しまれているんですね(*^^*)

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日本中が笑い涙した箱根駅伝のエピソード

箱根駅伝には、面白いエピソードや感動のエピソードがたくさんあります!

沿道応援に出没

箱根駅伝には、毎年出没する、名物応援者がいます(*’▽’)

中でも有名なのは、2011年から復路7区の二宮町に現れる『フリーザ軍団』です。

これはアニメ「ドラゴンボール」のキャラクターに扮した、コスプレ集団のこと。

ダンスパフォーマンスで選手を応援し、そのユニークな姿を楽しみにしているファンも多いとか。

実は、地元の方が演じているらしいですよ!

金髪グラサン伝説

2000年、法政大学の2年生だった徳本一善さん

金髪にサングラスという、当時の学生陸上選手には、珍しいスタイルで登場しました。

進学時には多くの大学から誘われましたが、個性を尊重する自由な雰囲気に惹かれ、法政大学を選んだそうです。

文鳥
文鳥

ビジュアル系ランナーと
言われたことも

強気な発言から、注目を集めましたが、その派手な見た目には、批判の声もありました。

2年生の時「選手らしくない」という手紙を受け取った徳本さん。

しかし「批判を受け入れ、それ以上に強くなる」と覚悟を決め、エースとして仲間を引っ張り続けたのです。

2012年、徳本さんは駿河台大学の監督に就任。

2022年には、チームを箱根駅伝初出場に導きました。

「外見で個性を表現したい選手には、その覚悟があれば認めてあげたい」と、徳本さんは語ります。

まるる
まるる

伝説は受け継がれていく

寺田交差点

第87回大会(2011年)は、終盤までシード権を巡る、熾烈な争いが続いていました。

ゴールまで、残り1kmの地点。

4校の選手が並走し、そのうち1校がシード権を逃すという、緊迫した展開に。

國學院大学にとって、初のシード権獲得が期待される中、寺田夏生選手がスパートをかけ、集団の先頭に立ちました。

しかし残り約120mで、右折した中継車につられて、寺田選手も右へ…。

文鳥
文鳥

コースはそっちじゃない
(;゚Д゚)!

約30mのタイムロスにより、11位に転落してしまいました。

しかし寺田選手は、猛然と再スパートをかけ、城西大学を抜き返し10位でゴール。

國學院大学に、初のシード権をもたらしました。

この劇的な展開から、大手町の交差点は駅伝ファンの間で「寺田交差点」といわれるようになったそうですよ。

父から息子へ受け継がれる箱根駅伝

第100回大会(2024年)で、給水係を務めた中央学院大学OBの黒岩弘樹さん。

給水相手は、息子である黒岩勇禅選手です。

実は弘樹さん自身も、かつて中央学院大学のランナーでした。

しかし、箱根駅伝への出場は叶わず、その夢を息子に託してきたのです。

勇禅選手の出場が決まると、恩師である川崎勇二監督から給水係を任され、弘樹さんは25年越しの箱根路に立つことに。

並走しながらドリンクを渡し、力強く激励しました。

「こんな日が来るなんて」と、弘樹さんは感慨深く語ったそうです。

震災復興への想い

「震災復興への想い」を届けた、東洋大学の選手たちのエピソードです。

2011年3月に起きた東日本大震災は、日本全体に大きな困難をもたらしました。

そんな中、東洋大学の選手たちは「自分たちの走りで被災地に勇気を届けたい」と誓い、翌年の2012年大会に挑んだのです。

福島県出身の柏原竜二選手は「山の神」と称される圧倒的な走りを披露。

そして東洋大学は、見事に優勝を果たし、被災地にエールを送る大会となりました。

多くの人に勇気と希望、感動を与えた忘れられないエピソードとして、今も語り継がれています。

まとめ

ゴールテープを持つ人

選手たちの熱い思いや、ドラマがたくさん詰まっている箱根駅伝。

『山の神』や『山の妖精』といった称号は、選手たちの力強い走りを象徴し、駅伝をさらに盛り上げてくれます。

また、沿道にはユニークな応援者も集まり、大会全体が一体感に包まれるのも、魅力のひとつですよね。

監督や選手の想い、伝説級の走り、そして未来を担う新たなランナーへの期待が交錯するこの大会は、見る人すべてに感動を届けてくれます。

今年はどんな物語が生まれるのか、楽しみですね(*^^*)

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