夏になると、スーパーやネットでは『土用の丑の日』の文字を見かけるようになります。
土用の丑の日は、うなぎを食べることで有名ですよね。
そもそも、なぜこの日はうなぎを食べる風習になったのでしょうか?
調べてみました
今回は『日常の気になる』をお届けします。
土用の丑の日のうなぎと平賀源内
土用の丑の日にうなぎを食べるようになった理由のひとつとして、江戸時代に活躍した『平賀源内』のお話しをご紹介します。
うなぎ屋の売り上げUPのために
平賀源内が「うなぎを食うべし」とした
日本初の発電機である「エレキテル」を発明した人としても、有名ですよね。
土用の丑の日の風習はいつから始まった?
土用の丑の日に、うなぎを食べる風習が全国に広まったのは、江戸時代の半ば以降です。
もともと「う」の付くものを食べる風習がありました。
「う」の付くものを食べると
病気しないんだって
うめぼし・うどん・うり
牛肉(うし)などだね
季節の変わり目で、体調を崩しやすい土用の時期は、体を休めたり健康に気を付けるようにしていたそう。
古く奈良時代から現代まで、「う」が付くうなぎは滋養強壮食とされてきました。
うなぎ屋の主人からの相談
平賀源内は、うなぎの蒲焼が大好きで、特に江戸前のうなぎにこだわりがあったとか。
江戸前のうなぎと、他所のうなぎを比べて「江戸前こそが一番美味しい!」と熱弁していたことも。
「江戸前の蒲焼きがない生活なんて考えられない」と、記された著書もあるくらいなんですって。
ちょっと引くね…
デンキウナギに関する実験も
していたそうよ
そんな平賀源内は、仲良くしていたうなぎ屋の主人から、相談を持ち掛けられました。
「夏はうなぎが売れなくて困る」
夏が旬だと思われがちなうなぎですが、実は秋から冬が旬になります。
夏のうなぎは「脂がのっていない」「身が瘦せていて美味しくない」と言われ、客足が遠のいていました。
さっぱりしていて美味しい
という人もいるよ
そこで平賀源内は、店に看板をかかげるようアドバイスします。
「本日土用丑の日」
土用の丑の日に「う」のつくものを食べる風習から「うなぎを食うべし」としたんですね。
うなぎを食べると夏バテしないよ
って宣伝したんだね
このキャッチコピーが、江戸の人々に大ヒット。
うなぎ屋は、大繫盛したそうです。
まわりのうなぎ屋も、この看板をかかげるようになり「土用の丑の日」にうなぎを食べることが、全国に広まりました。
この風習が現代にも引き継がれ『夏の土用の丑の日はうなぎを食べる』ことになったんですね。
土用の丑の日はいつのことを指す?
土用とは、古代中国で生まれた陰陽五行説における、季節の分類のひとつです。
万物は〈木・火・土・金・水〉の
五元素から成るという思想
立春・立夏・立秋・立冬の前の、各18日間が『土用』の期間です。
思ったより期間が長いな
季節の変わり目だね
『夏の土用』は
立秋の前の18日間のこと
この期間は梅雨ともかぶり、体調を崩しやすい時期ですよね。
そこで、栄養のある食べ物として、夏にうなぎを食べると良いとされてきました。
実際うなぎには、疲労回復や免疫力を高めるための豊富な栄養が含まれています。
丑の日とは、日にちを干支で数えたときの、丑にあたる日です。
土用の丑の日は
土用期間中の丑の日のこと
子どもの頃は「土用」を
土曜日と勘違いしていました
土用の丑の日は、年によって2回あることも。
その際は「一の丑」「二の丑」というそうですよ。
2024年の土用の丑の日はいつ?
冬の土用の丑の日 | 1月26日㈮ |
春の土用の丑の日 | 4月19日㈮ 5月1日㈬ |
夏の土用の丑の日 | 7月24日㈬ 8月5日㈪ |
秋の土用の丑の日 | 10月28日㈪ |
2024年の『夏の土用の丑の日』は、7月24日㈬と8月5日㈪です。
2回あるね!
土用の丑の日にしてはいけない事
実は土用の期間中、してはいけない事があるのをご存知ですか?
古くからの言い伝えですが、注意しながら過ごしましょう。
土に関することですね
土用の期間中は、土をつかさどる神様が、地中にいるとされています。
そのため、土を掘り起こすなど、土を動かす行動は避けた方がいいそうです。
ただ、土用の期間には「間日(まび)」という日が設けられています。
間日は、土の神様が天上界へ行っているんですって。
ですので、その日は土を動かしても大丈夫。
18日間も、家や畑のメンテナンスができないのは困りますよね。
雑草伸び放題…
- 新居購入
- 就職や転職
- 結婚や結納
- 開業や開店
など、新しい事や大きな移動も、避けた方がよいとされています。
うな丼の誕生秘話
うなぎの蒲焼とご飯を、丼によそった『うな丼』
タレがご飯に染み染みで、美味しいですよね(*’ω’*)
うな丼は、茨城県にある牛久沼が発祥の地とされています。
牛久沼ではうなぎが
獲れるらしいよ
牛久沼の近くには『うなぎ街道』があります。
そこには、第72代横綱の稀勢の里(現二所ノ関親方)が通うお店も。
幼少時代から通っている山水閣で鰻を頂きました。
— 【公式】二所ノ関部屋 (@nishonosekibeya) April 22, 2022
お店はミニ稀勢の里博物館になっています!#二所ノ関部屋 #稀勢の里 #山水閣 #鰻 #茨城 #龍ヶ崎市 pic.twitter.com/A6Gn9vwceO
さて『うな丼』が誕生した理由は、諸説あります。
二つの説をご紹介します
牛久沼で偶然誕生した
日本橋境町にある、芝居小屋のスポンサーだった、江戸の商人『大久保今助』
彼が故郷(現在の茨城県常陸太田市)へ帰る途中、水戸街道(現在の国道6号線)から牛久沼まで来たところで、うなぎを食べたくなったそう。
そこで牛久沼ほとりの茶屋で、うなぎの蒲焼とご飯を注文。
しかし、渡し舟の出発時間が迫っていました。
そうだ!うなぎをご飯に乗せて、皿でフタをしよう!
対岸に着いてから食べてみると、うなぎとご飯が馴染んで、とても美味しかったんだとか。
茶屋へ食器を返すときに、そのことを伝えると、茶屋もうなぎをご飯に乗せて出すようになりました。
これが『うな丼』の始まり。
牛久沼周辺で名物になったんだって
うなぎの出前から
そんな大久保今助。
芝居小屋がある日本橋葦屋町のうなぎ屋に、毎日出前をさせていました。
うなぎ大好き今助
当時の出前は、温めたぬかの上にうなぎを乗せて、冷めないようにされていました。
しかし、ぬかがうなぎにくっついて、美味しくない。
そこで今助は、うなぎ屋にこう注文します。
熱いご飯を丼に盛って、ご飯の間にうなぎをはさんで持ってきてくれ
こうすれば、うなぎは冷めないし、ご飯にタレが染み込んで美味しいと。
牛久沼での経験から?
これを『うな丼』とし、芝居小屋でも売り始めたところ大好評。
まわりのうなぎ屋にも、広まったのが始まり。
うな丼発祥の
もう一つの説です
「牛久沼の説」も「出前の説」も別々のお話しですが、何となくつながりがありそうですよね。
まとめ
土用の丑の日にうなぎを食べる風習は、うなぎ屋の主人を助けることから始まりました。
発明家の平賀源内が、アドバイスしたことによって登場したのですね。
平賀源内は、現代でいう「コピーライター」みたいなこともしていたようですよ。
また「してはいけない事」があるのには、びっくりですよね。
うなぎは、夏バテに効果がある食材です。
土用の丑の日が楽しみですね(*^^*)